竪山勲さんの言葉、Facebookより(2021年8月25日の記事より)

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この言葉が嫌いな爺です。私たちは一億国民総懺悔を求めて「らい予防法違憲国賠訴訟」を提起したのではない。予防法を作った国の責任を質したのです。この「知らなかった私は差別者でした・・・」などという言葉が飛び交うと、国の責任はどこかへ吹っ飛んでしまいます。現に、国の出版物等には国の責任が何処かに消えた「市民」の責にすり替えられた文章がでてきています。我が国は国に都合の悪いことは「主語」を隠して、逆にあいまいにしてその責任を「市民」に持ってくるという卑怯な文章を平気で持ってきます。「知らなかった私は差別者だった」「知らなかった私は加害者だった」この言葉はどこか「上から目線」に聞こえてくるのです。私もそう言ってみたかったと、この言葉を聞くたびに反発する心が何処かにあるのです。・・・・・「知らなかった私は差別者でした。」「知らなかった私は加害者でした。」という言葉をよく聞く。ハンセン病問題にはこの言葉は当てはまらない。「知らなかった」ではなく「知らせなかった」国の責任があるのです。強制隔離し、陸の孤島や、山上の僻地、島などに、まるで臭いものには蓋を式にハンセン病患者らを、人目につかないところに押しやったのです。ハンセン病患者を隔離し、医療を隔離し、市民の知る権利まで隔離で奪ったのです。そのような中で、どうして市民が「知る」ことができたでしょう。知ることができないのが当たり前。「知らなかった私は差別者でした」という言葉がどれほど的外れな言葉かお分かりいただけると思います。ハンセン病問題に対する正しい知識を知らさなかった国の責を正すべきです。