竪山勲氏のFacebookより (ハンセン病訴訟関係)(2021年8月19日の記事)

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爺は13歳の時からこの国の政治を見てきた。正確に言うと小5の時からと云った方が正しい。特に隔離された13歳の時からは、療養所内の父親代わりに、ものの見方考え方を教えられた。我が国の政治に関心を持つと云うより、隔離という環境の中で政治の果たした加害責任を常に批判してきた。政治の世界の汚さも、誰よりも見させられてきた。ハンセン病裁判を13名の原告で熊本地裁に提訴したときも、この国の法律による人権侵害に原告団の事務局長として常にその闘いの先頭に立ってきた。その中で、国会議員による超党派のハンセン病問題に関する議員懇談会と共に、法廷闘争から控訴断念の闘い、更には現在もハンセン病問題の全面解決へ向けた闘いを繰り広げている。何が何でもハンセン病問題は「超党派」で、と云う思いで活動してきた。先の、家族訴訟の時は、与野党全党の中にハンセン病問題のWT・PTを作って貰い、原告等の訴えを総ての政党の皆さんに聞いて貰った。それらの闘いは、「超党派」の議員懇談会があったから、ハンセン病問題に関する法律を議員立法で成立させ、今のハンセン病問題に生かすことが出来ている。闘いの先頭に立つ者として、各政党の立場、思いも充分に知っていないと行動など出来るものではない。私は、原告団の中では「武闘派3人衆」と呼ばれた者の1人だ。国に対する交渉時は、マスコミ曰く、「鬼の竪山」と云われた。そんな私が、今の政党、各国会議員に対し、20年以上直接交渉しながらそれぞれの「人」と「政党」を見てきた。自民党から共産党まで、どのような政党かは総て存じ上げている。今、管政権に対する批判が渦巻いているとき、野党として何を為すべきかはただ一つ。コロナ渦の中で、血の涙を流している弱き者の立場に追いやられた市民の声を、どう聞き、どう政治に生かすかだ。野党各党も、それぞれの立場がある。しかし、その立場だけに固執したら、またまた自公政権を許して仕舞うことになる。今、何をすべき時か。小異であろうが大異であろうが、それを乗り越えて政権交代に向かうときであろうと思う。その、政権交代への明るい兆しが少しでも見えてきたら、それを後退させないように、よくよく注視しておくべきである。過激な行動・発言が世の中を代えるのではない。歯ぎしりしながら、政治の冬を春に代えていく闘いは、庶民の1人1人の力だ。あのハンセン病裁判で原告13名が立ったとき。「蟻の子が巨像に刃向かうようなもの」ひとたまりも無いよと言われた。「国を相手の裁判で勝った例しがない。」仲間たちからも嘲笑の毎日だった。しかし、どうだろう。「巨像」を倒したではないか。「勝った例しがない」ことをやってのけたではないか。全マスコミが「政府は控訴して和解」と云う報道を「政府の控訴断念へ」と追い込んだではないか。政界も一寸先は闇とよく云う。何が起るか分らないのが政界だ。昨日の政敵も今日は手を組む。政治の世界ほど何でもあり、という世界はない。政治への諦めではなく、政治を変えていく力は庶民に託されている。諦めや批判の為の批判では何も変わらない。建設的な批判を心がけたいと思う。